アンティークジュエリー物語n.23
パイオニア達
香りのジュエリー V
コラム n.22 香りのジュエリー IV ー 花の世紀 ー より続いて、
歴代王の好みの香水を作り上げ、宮廷で重用された「 パヒューマー 」なる調香師たち、彼らは18世紀末のフランス革命の影響は受けず、皇帝に、復古した王に、そして貴族を手本としたブルジョワ達に代々重用されるようになります。
あらゆる香りを作り出す「パヒューマー」、18世紀から19世紀は、彼らが香水の世界を広げました。
ロンドンでは、1730年に「 フローリス 」、1830年に「 リメル 」、1870年に「 ペンハリガン 」が開店しました。
フローリスの「 N.89 」はイギリス王室のチャールズ皇太子の好きなオー・ド・トワレットだそうです。
いずれも、もともとは「床屋」でした。
当時は床屋が薬局や医術も行い、香水店を開く免許があったのです。
さてフランスでは、1770年にパリで最も古い2人の調香師、「 ウビガン 」と「 L.T. ピヴェール 」が登場します。
ウビガンはパリの中心に「ア・ラ・コルヴェイユ・ド・フルール」(花籠)、ピヴェールは「ア・ラ・レーヌ・ド・フルール」(王妃の花)という香水店を開きました。
ルイ16世王の宮廷での御用達となり、マリー・アントワネット王妃、ナポレオン1世皇帝、ジョゼフィーヌ皇后、ルイ18世王など、歴代の王侯貴族が愛用しました。
1882年にはウビガンは、初の合成香料を用いた香水「 フジェール・ロワイヤル 」を発表します。
それまで香水は天然香料だけで、大変な時間と香料が必要でしたが、合成香料により、より多くの複雑な香りの香水を作ることができるようになりました。
1828年には後に香水の芸術家と言われた「 ゲラン 」がパリに開店します。
医者であり科学者でもあったピエール・フランソワ・ゲランは、パリ、リヴォリ通りに香水店を開きました。
彼の作る香りは、単なる花の香りのコピーではなく、注文者のパーソナリティを生かし、香りの階層を巧みに組み合わせた今までにない、深みのある香水でした。
まさに 香水のアーティスト と言われた由縁です。
1889年発表の「ジッキー」は、モダンな香りの先駆けとして伝説の香水となり、1912年には「ルール・ブルー(青い時)」を発表、同じ頃、キャロン香水店の「 ナルシス・ノワール(黒水仙)」などの香りが作られたのもこのべル・エポック期です。
また、1910年頃からは、専門の調香師だけでなく、ファッションデザイナーが香水を作り始めるようになります。
初めて香水を作ったデザイナーはパリの「 ポール・ポワレ 」、彼は「 レ・パヒューム・ド・ロジーヌ 」という香水店を作りました。
ポワレ以前は、だれもそのようなアイデアはなく、彼は香水瓶のデザインやパッケージも凝った物をつくり、香水だけでなくパウダーや口紅、アイシャドウに石鹸を開発し、オートクチュールのドレスや靴、帽子と合わせる化粧品や香水を提案することで、ポール・ポワレの世界を表現しました。
香水瓶は、バカラクリスタルや、ヴェネチィアのムラノ島で作る吹きガラス製、パッケージデザインは、ポワレ自身だけでなく、ラウル・デュフィを始めとした画家にも依頼しました。
ポワレの香水はオートクチュールの閉店とともに終わりましたが、その創造性とデザインは、香水瓶コレクター達の憧れとなっています。
彼の香水店の名の中の「 ロジーヌ 」とは、「 バラの貴婦人 」という意味で、バラの花を好んだポワレならではの命名です。
彼のアイデアは他のクチュリェ達へ受け継がれ、ガブリエル・シャネルは1921年に有名な「N.5」を、ジャン・パトゥは「ジョイ」、ランバンは「アルページュ」を発表し、いずれも名香として今に続いています。
このように香りもジュエリーも、ともに数千年もの歴史があり、ともに触覚、視覚、嗅覚と、人の内面へ訴え、途切れる事なく人を魅了してきたのですね。
香りの歴史を追ってみますと、ジュエリーと似たところが多く、共にすぐれた感覚によって作り上げた「 芸術品 」と言われる由縁がわかりました。
香水瓶は視覚を刺激する美しさがありますし、香水そのものは、感覚の第五番目「嗅覚」に響き、それは第六感へ続きます。なにかを選ぶ時、好きになる時、人の中で自然に働く神秘的な感覚なのでしょうね。
アンティークジュエリーと香水の世界は、幾世紀を経ても、まるで果てしない旅路のように、人々を魅了してやみません。
さて、香水とジュエリーのお話は今回でお終いですが、楽しんでいただけたでしょうか?
続いて、次のコラム n.24 と n.25 では香水こぼれ話を2回にわたりご紹介してまいります。