アンティークジュエリー物語n.50
北方ルネサンスの神秘
クラーナハ 500年の夢
クラナッハとも言われる画家「ルーカス・クラーナハ」は、1472年生まれ、妖しく神秘的な絵で知られ、16世紀のヴィッテンブルグ宮廷の、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世の御用達として仕えました。
今、 日本の国立西洋美術館 で展覧会が開催中ですので、観覧された方もいらっしゃるのではないでしょうか?
16世紀に一世を風靡したクラーナハですが、彼の絵の特徴の一つに、大変詳しく描かれたジュエリーや髪型などの、ルネサンス・ファッションの魅力があります。
下の絵は典型的なクラーナハの女性像で、帽子、ドレス、巨大なチェーンネックレスやチョーカーを克明に、北国らしい毛皮やベルベットなどで重厚な装いを描いています。
この女性達はおそらく14〜16歳でしょう、はにかんだような微笑みが愛らしい3プリンセスは、向かって左からシヴィラ、エミリア、シドニアというザクセンのフロマン公の三姉妹です。
16世紀の宮廷人たちの装いが手にとるようにわかり、黄金の質感や、真珠、宝石、絹地や織物の質感までが伝わってきますね。
巨大なジュエリーはクラーナハの特徴でもあり、例えば下左のようなネックレスというよりも肩掛けのような幅広のジュエリーと、チョーカー+ペンダント、まだ右側の裸身の女性像のジュエリーの方は、サイズ感に現実味がありますが、果たしてこんなに巨大なネックレスを、本当に身につけていたのでしょうか?
絵の中のジュエリーは、実は画家が豪華に見えるように工夫をこらしているのです。
つまり、大きめに描いている訳です。
クラーナハは、多数の徒弟を抱えた大工房の親方でした。
自身も描きましたが、徒弟を指導し沢山の注文をこなしていました。
人物は実際より美しく、装飾品はより豪奢に描くと、描かれた本人はちょっと違う、とわかっていても満足し、クラーナハ工房はますます注文が増えるという仕組みです。
もちろん、注文主の要求に答えるだけでは宮廷画家にはなれません。
クラーナハが500年後にも人々を魅了するのは、デッサン、色彩、絵の具には投資を惜しまず、素晴らしい才能を持っていた上に、人間的な魅力にあふれていたからです。
その証にザクセン公だけでなく、当時の神学者マルティン・ルターとは友人であり、多くの貴族や知識人といった人々を描いています。
少し話しはそれますが、上の男性の、赤い帽子の金色のパーツが気になりませんか?
これは紡錘状のパーツを縫い付けたり、リボンを通して帽子へ結びつけた当時流行の飾りです。
中には金製にグラヴュールと宝石をほどこしたものがあり、袖や上着にも付けたマルチユースの装飾品でした。
続いて下のコケリッツ公をご覧下さい。
ルネサンス時代の北ヨーロッパ的な趣味で、黒の装いに、黄金で揃えたジュエリーが印象的です。
手にはルビーでしょうか、宝石をセットした指輪と重ね付けしたリング、小指にも指輪を嵌め、ネックレスはモダンジュエリーのようなデザインです。
クラーナハの絵の中では、一見地味な感じのコケリッツ公ですが、なかなか大変な洒落者のようです。
さてこの下の貴婦人は、一番上の絵の3プリンセスの一人 ” シドニア ” です。
当時の若者の肖像画は、お見合い写真だったことも多かったため、3プリンセスの中から選ばれたのでしょうか、一人だけで上の絵よりもより美しく品良く描かれ、ドレスやジュエリー、帽子の趣味がエレガントですね。
クラーナハは肖像画だけでなく、多くの宗教画も描きました。
中でも風景画は見逃せません。
下は「エデンの園」、言わずと知れたアダムとイヴのお話を1枚の絵の中に描いています。
ドイツらしい深い森の緑色や動物達には、彼のデッサン力の素晴らしさと、独特の色彩と構成の感覚が表れています。
宗教画の中に描かれた風景や動物は、主題に制約が多かった昔、画家の個性の発揮のしどころだったため、人物と同じくらい力を入れて描いています。
次は ” 袖 ” に注目してみましょう。
帽子ドレスを詳しく描いたクラーナハの絵の中でも、特に目につくのが袖です。
ふくらんだり締まったりと不思議な形の袖ですが、いったいどのようになっているのでしょうか?
実はこの袖は切れ込みが入っており、下に着ているシュミーズを、上着の切れ込みから覗かせているのです。
色のコントラストを楽しみ、動くたびに下に着るものの色がのぞくというファッションです。
この袖のように、さまざまな技術が発展しはじめたルネサンスの初め頃から、あまりに豪華なので「袖」を盗まれた王妃もいたくらい、装飾デザインの世界は、多彩で幻想的なものになっていきました。
16世紀はジュエリーの世界もしかり、交易で真珠や宝石が遠方から運ばれ、宝飾技術も高くなっていきます。
ルネサンスは変化再生の時代、クラーナハはそのまっただ中に生きた芸術家であり大工房主でした。
1553年に逝去し、息子が工房を継ぎクラーナハ王国は16世紀末まで続きます。
500年を越えた今でも、私達を驚かせ魅了する真の画家の一人です。