アンティークジュエリー物語n.22
花の世紀
香りのジュエリー IV
コラム n.21 香りのジュエリー III ー 香りの余韻 ー より続いて
16世紀、イタリアからフランスへ、小柄で浅黒い肌の娘がフランスのアンリ2世王のもとへ嫁いでいました。
カトリーヌ・ド・メディシス、ルネサンス時代の贅と文化をフランスへもたらしたと言われる女性です。
16世紀は、前世紀の黒い病ペストは水により伝染すると考えられたため、水を使う事は悪い事とされ、また、教会の影響力が大変強くなったために、公共風俗を乱すという理由で公衆浴場が閉鎖され、それまで行われた入浴や、清潔を保つという意識が覆された時代です。
よく言われるように、ヴェルサイユ宮殿には排水路がなくトワレット設備などは皆無、人々は風呂には入らず、手も香水を浸した布で拭く程度で洗わなかったそうで、
そんな環境とは逆に、臭いを打ち消すかのように夢中で香水が使われ、宮廷は香りで満たされていました。
カトリーヌ・ド・メディシスが連れて来た薬剤師が香水やオー・ド・ローズを作りました。カトリーヌの娘、マルゴ王女は大変なお洒落で、
「 手はバラ水で洗い、スウェーデンのクリスチナ女王宛の手紙は、芳香のレターペーパーへ書かれていた。」という話が残っています。
17世紀のルイ14世王と、寵姫モンテスパン夫人のあだ名は「 2つの花 」花の香りを好んだ二人が揃うと、まるで大きな花束のように香ったそうです。
古代は練香や香油しかありませんでしたが、14世紀頃にオリエントの国からヨーロッパへ伝わった「アルコール蒸留技術」により香水が作られるようになりました。
ヴェルサイユ宮殿では、ミルトやバラ、菫といった花に、アンバーやシベット、麝香といった強い動物性を加えた香水やパウダーが流行していました。
しかし動物性と植物性が混ざった香りは大変強く、宮廷内のあまりの香りの強さに、王自らが窓を開けたと言われています。
そんな香りの好みに革命を起こしたのが、17世紀末に作られた「 オレンジの花の香水 」です。
今でもオレンジの花の蜂蜜は、大変いい香りがするものですが、本物の花のエッセンスは当時の人々にとっても素晴らしい匂いでした。
オレンジの花の香水が現れて以降、動物性香料は影をひそめ、バラ、菫、タイムなどの植物の香水がもてはやされました。
ルイ15世王の宮廷では、「 香水の楽しみ 」で満たされ、軽やかな香りは後に残りにくい為、毎日香水を変える習慣を生み、香りで癒される「 パヒュームテラピー 」という言葉も出て来たほどでした。
今も香りでのリラックス法がありますが、17世紀には既にあったのですね。
花の香りの流行は、王妃マリー・アントワネットの時代に最高潮に達します。
ヴェルサイユ宮殿の庭園をはじめ、1年中花を楽める温室や、田園風景の水車小屋に庭園など、本物の花と香水が、交響楽を奏でたような時代でした。
貴婦人達は「 ヴィネグレット 」や「 香水入れ付指輪やペンダント 」化粧室を飾る「 香水瓶 」に趣向を凝らすようになりました。
また「 パヒューマー 」と呼ばれた調香師は一つの職業となったのもこの頃です。
18世紀末から19世紀、彼らが香水の世界を広げる時代となっていきます。
続いて次のコラム n.23 では、 香水のパイオニア達 をご紹介してゆきます。