アンティークジュエリー物語n.2bis
裸足のスキャンダル
カスティリオーネ伯爵夫人 II
コラム n.2 カスティリオーネ伯爵夫人 I から続いて、
当時の社交界で最もお洒落で最高のスキャンダルを巻き起こしたと言われる写真をご紹介致します。
下は当時 ” 伯爵夫人が殆ど裸をさらした ” と言われた写真、「 エトルリアの女王 」です。
モワレオーガンジーの黒い衣装にエトルリアのジュエリー、大きな孔雀羽の扇を持ち、劇場の衣装を着けています。
” 古代風サンダルの裸足 と 結わずに長くたらした金髪 “は、スキャンダラスを巻き起こしました。
当時のモラルでは、裸足を見せ、髪を垂らすのは街の娼婦くらいなもの、そして女優は娼婦と同じと考えられていましたので、社交界の貴婦人がこのような姿になることは、天地がひっくり返る程の出来事でした。
その上伯爵夫人は、この姿で寝そべった写真を撮らせています。
他にもこのような写真があり、後年、1900年の一級の詩人でダンディと知られた大貴族、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵が「 眠り 」と名付けた写真がこちらです。
これには対をなす「 目覚め 」という写真もあり、伯爵夫人が後々まで、階級のみならず芸術的にトップにいた人々に強い影響を与えたというエピソードの一つです。
こちらは1950〜60年代の映画監督、ルキノ・ヴィスコンティが影響を受けた「 葬儀 」、ウッソーニ伯爵夫人を演じたアリダ・ヴァリ主演の映画「 夏の嵐 ( Senso ) 1954年」へインスピレーションを与えました。
続いて下は、ナポレオン皇帝の姪、マチルド王女に扮した姿です。
伯爵夫人は王女のドレスを借りたこの姿で、1857年2月に王女主催の夜会へ登場しました。
白髪のかつらに18世紀のダイヤモンドの髪飾りの「 マチルド王女 」存在感のある金のブレスレットを両手にしています。
夜会に王女が二人・・・伯爵夫人らしい遊び心です。
常に独創的なドレスと、質の高く美しいジュエリーを身につけていた伯爵夫人は、パリの宝飾メゾン、ブシュロンの顧客でもあり、ブシュロンには伯爵夫人の金と銀、ダイヤモンドで作られた18世紀様式のジュエリーが保管されています。
ブシュロンとの縁は深く、伯爵夫人が住まいとしていたヴァンドーム広場の邸宅の、同じ建物をブシュロンが買い取ったこともありました。
6連の天然真珠ネックレスと鏡は、常に手元に置いていたという伯爵夫人、紫がかった青緑の瞳が美しい人で、その魅力を知っていたからこその小道具だったのでしょう。
友人であったロスチャイルド男爵からは、「 ヴァンドーム広場の怪物 」「 鏡の聖女マリアであり神の御子伯爵夫人 」といった名で呼ばれた、時代を先取りした19世紀のスキャンダラスな貴婦人、晩年は失われた美貌を黒いベールで覆い、ヴァンドーム広場の館で暮らしたと伝えられています。