アンティークジュエリー物語n.69
マン・レイの
ジュエリー レッスン

〝 シュールな… 〟と言うときは何か奇抜なことを差しますが、この言葉はもともと1920年代のパリの前衛芸術運動であった〝 シュルレアリスム 〟からきています。
前衛芸術なんて、普段の私たちからは現実離れした世界と思いがち、しかし100年前の最先端は、現代の日常と言えるのです。
今回は、あるシュールな写真家の、今に通じるアンティークジュエリー コーディネイトをご紹介致します。

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エマニュエル・ラドニツキー、またの名をマン・レイは1890年にアメリカのフィラデルフィアに生まれ、31歳の時にニューヨークからパリへ渡った写真家で、シュルレアリスムのアーティストです。
シュルレアリスムとは、〝 経験や理屈などの理性ではなく、瞬間の感受性や無意識から作ったアート〟という芸術運動の一つです。

フォトグラム 1920年代 _ マン・レイ セルフポートレート 1932年 アメリカ芸術美術館蔵

マン・レイの写真は、いくつかの技法でシュルレアリスム写真を作っています。
その技法とは、カメラを使わず感光紙へ物をじかにおいて焼き付けるフォトグラムや、真っ暗な暗室へ、あえて光を入れて現像し、写真の一部を白黒反転させるソラリゼーションなどがあり、出来上がった写真は、陰影の美しいモノトーンが多いのも特徴です。
白黒ゆえに奇抜さが抑えられるからでしょうか、その仕上がりからはエレガントささえ漂い、今でも多くのファンがいるのもうなづけます。

表紙の検証 1933年 _ フォトグラムによる写真 1922年

さて1921年の7月、ニューヨークからパリのサン・ラザール駅に降り立ったマン・レイは、パリの前衛芸術家グループに出迎えられ、画家のピカソやマティス、詩人のコクトー、作家ヘミングウェイ、日本の藤田嗣治など、たくさんのアーティストが集うモンパルナスへ住むこととなりました。
当時の芸術家達は貧しく、特に前衛は世間に認められていなかったため、マン・レイは生活の糧としてポートレートやファッション写真を撮りはじめます。

1920年代 パリのモンパルナス界隈

持ち前のセンスを生かし、ポートレートではポーズや撮影場所だけでなく、モデルの髪型、服、ジュエリー全てをマン・レイがコーディネイトし、結果的に非常な成功をおさめ、ファッション写真の仕事を20年も続けることとなり、他にはマネキン創作のデザインも依頼されました。
マン・レイの活躍で、それまで芸術写真よりも下に見られていたファッション写真の世界へ、著名な写真家達が名を連ねるようになります。

モデルには当時の芸術家達がこぞって使いたがった「モンパルナスのキキ」、女性写真家の草分け「リー・ミラー」、イギリスの富豪令嬢の「ナンシー・キュナード」などがいました。
彼女達はマン・レイのスタイルに惹かれ、時には仲間に、時には恋人となっています。

白と黒(モンパルナスのキキとアフリカの仮面)1926年 _ ブレスレット

1920年代のアール・デコの時代は、東洋やアフリカの美術からインスピレーションを受けたジュエリーが創作されました。
上左の「白と黒」では、モデルのキキとアフリカのマスクを絶妙な配置で撮ったマン・レイの代表作です。この写真は「真珠母貝の顔と黒檀のマスク」の言葉を添え、1926年のファッション誌ヴォーグへ掲載され、「ブレスレット」と題した右は、ファッションデザイナーのシャネルに大きな影響を与えたそうです。
2020年の今、パリの美術館で9月から始まるマン・レイ展の、このポスターが注目を集めています。

タイトル無し 1925年

古典的なカメオを、シンプルなチョーカーへ着けていますが、そのモダンさにハッとさせられます。
着けていない写真と比べると、よりお洒落で、時代を感じないのも魅力でしょうか。お手持ちのカメオで、こんな着け方も素敵ですね。
下はイギリスの富豪ナンシー・キュナードの、象牙や木のブレスレットや珠連なりのネックレスを重ねた有名なスタイルで、

ナンシー・キュナード 1925年 ポンピドゥセンター蔵 パリ

ナンシー・キュナードは、クィーン・エリザベス号を持つ船舶会社の令嬢で、イギリスの上流階級の生まれでしたが、パリへ渡り、100年前の当時はスキャンダラスであった超短髪、詩人、意のままの異性関係、表現の自由や人種差別への反抗、黒人の恋人、スペイン市民戦争への従軍などの革命的な行動と性格で、シュルレアリストたちの羨望の的でした。

天文台の時、恋人達 1936年 リー・ミラーの唇と _ マグノリア 1929年 マン・レイ トラスト

白黒の陰影が美しいマン・レイのポートレート撮影には、フランスのボーシャン公爵夫人、カサティ侯爵夫人をはじめ、デザイナーのシャネルにスキャパレリ、アメリカの富豪令嬢でタイタニック号のオーナーの娘ペギー・グッケンハイムなどの社交界の女性達が列を作ったといいます。

ダイヤモンドクリップブローチを着けたニメの肖像 1930年 _ 菫の帽子をかぶったモンパルナスのキキ 1930年 パリ ポンピドゥセンター蔵

たしかに、エレガントで絵画的、そのうえ幻想性さえ感じますが、余分な飾りが無く、その人の良いところが写っているように見えるのも人気の理由でしょうか。
そんな写真に使ったジュエリーは、シンプルで重厚感のあるもの、古代ギリシャ的なもの、ラインの美しいもの…つまり、アール・デコ スタイルのアンティークジュエリーでした。

リー・ミラー 1930年

リー・ミラーはアメリカ人で、最初はモデルとして、パリではマン・レイの恋人、アメリカ、イギリスで写真家として1977年まで生きました。上のチョーカー型はマン・レイの気に入りだったようで、下の女優エラ・レーヌのポートレートでも似たものを着けていますね。

エラ・レーヌ 1947年 _ ジュエリー広告写真 ハーパースバザー誌 1935年

ファッション誌の写真なので美しい人ばかりですが、媚びやあからさまなセクシャリティではなく、まずその人本来の美しさを写しているように思えます。
そのマン・レイの姿勢は、当時の最先端の女性に好まれたのでしょう。

1920年代 芸術家が集うパリ、モンパルナスのカフェ「ドーム」

21世紀は5分の1が過ぎようとし、マン・レイの時代からすでに100年。今では当たり前に見える写真も、当時は前衛でした。
マン・レイのジュエリー スタイルは、まるで新鮮な果実のようで、いつまでも古びることなく、シュールで優雅なモダニティが魅力です。

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さて、卓越したセンスのマン・レイが好み、ルーヴルアンティークでも好んでご紹介しているアール・デコのアンティークジュエリーは、クラシックとモダニティのどちらも持っており、世界とフランスの文化と技術を土台に作った「永遠のアンティークジュエリー」の一つと言えるでしょう。
これまでも、これからも素敵なアール・デコジュエリーをご紹介してまいります。どうぞ楽しみにカタログをご覧下さい。

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