アンティークジュエリー物語n.66
シネマ@アンティーク
ルイ・ジューヴェ

観るだけでいろんな世界へ連れて行ってくれる映画、皆様はどんな映画がお好きでしょうか?
このシネマ@アンティークでは、映画の中のアンティークジュエリーをご覧になってみて下さい。

「ルイ・ジューヴェ」、映画好きの方ならご存知かもしれません。フランス映画界の別格といわれ、1938年の名画「北ホテル」でアルレッティと共演し、俳優、舞台総監督、劇団主催者として、俳優仲間からも一目をおかれた存在でした。今回は、アール・デコのアンティークジュエリー・コーディネイトもお目見えする1930年代のフランス映画をご紹介いたします。

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ルイ・ジューヴェは1887年、フランスの西端フィニステール生まれ、父の仕事の関係で各地を転々とし、10歳の時に父は事故死、その後はアルザスで祖父母と母と育ち、パリ薬科大学を卒業し、第二次世界大戦では、医学系将校として従軍しました。大学進学率が非常に少なく社会制度が今とは違った当時の、いわゆる知的エリート階級に属していました。

4歳 左端がルイ・ジューヴェ  _  ルイ・ジューヴェ47歳とマドレーヌ・オゼレイ 1934年

学業のかたわら演劇を学び、薬剤師か俳優か迷いましたが、25歳で劇場の俳優としてスタート、ヴューコロンビエ劇場、シャンゼリゼ劇場などでキャリアを積みました。
恵まれた容姿と、演劇のセンスでどこの劇場でもトップ俳優として、また、小学校くらいで学業を終え、演劇界だけしか知らない俳優が多かった当時に、大学を出てラテン語も話したルイ・ジューヴェは、その才能を生かして舞台総監督、演出家、劇場経営者として活躍し、38歳でレジオン・ドヌール勲章五等を受けています。

ルイ・ジューヴェ フランス映画 俳優 アンティークジュエリー

第二次世界大戦がはじまると、フランス国内では活動ができなくなり、劇団を主催しヨーロッパ各国から南北アメリカを巡業しました。しかし戦争の激しさや劇団内の意見の食い違いで破産寸前まで追い込まれてしまいます。
1944年のパリ解放後、船でフランスへ戻った後の活躍はめざましく、なんども依頼があったにの関わらず、断っていたコンセルヴァトワール・パリ演劇学校の教授をし、政府からはフランス演劇を広めるために世界各地へ行って欲しいと言われるなどと活躍したのち、63歳でアテネ劇場の楽屋で逝去しました。ちなみに、ルイ・ジョーヴェは若い頃に3度、コンセルヴァトワールを受けて落ちているのですが、ここは稀有な俳優の卵を入学させない学校としても有名なのです。
「映画に尊敬された人」と言われたルイ・ジューヴェでしたが、映画に出たのは、劇団の資金を稼ぐためだったそうです。まさに舞台に生きた人だったのですね。

「トパーズ」 監督マルセル・パニョル 1933年

映画での舞台俳優にありがちなのは、フィルム向きでない大げさな演技やセリフまわしが鼻につくことなのですが、当時の映画界で、ルイ・ジューヴェと双璧と言われたジャン・ギャバンは、映画俳優とはどうすれば良いかをよくわかっており、どんな作品でもジャン・ギャバンでいること、つまり自然に振舞って、あえて演技をしないように心がけていたそうです。
その真逆がルイ・ジューヴェ、あくが強くなりすぎる手前で、演劇くささを見事にとめてみせる俳優でした。そのさじ加減が絶妙で、舞台で養った演技力が加わって、彼の出る映画はどれも至宝と思えます。

さて、そんなルイ・ジューヴェの映画から、2作品をご紹介いたします。

まずは「トパーズ(監督マルセル・パニョル1933年)」。おどおどして内股、女性にも不器用な小学校教師トパーズが、騙されてサインした書類から公共事業の経営者に、はじめはやる気がなかったのですが、ある日仕事に目覚め、敏腕経営者に変身するコメディです。
この映画の見所は、ルイ・ジューヴェ(メガネの男)の時代を感じない見事な着こなしと、相手役の女優エドヴィージュ・フィエールの、アール・デコのドレスとジュエリーです。なんと衣装デザインはエルザ・スキャパレリ です。
後ほど下方で映像をご覧ください。

続いて有名な「北ホテル」。
パリの庶民が集まるカフェとホテルを舞台に、無精者と女給のもつれたり戻ったりする愛を描いたロマンスです。女優アルレッティ41歳の出世作で、映画に出たばかりの初々しい感じが好ましく、それを支えた周りの熟練俳優が素晴らしく、30年代のパリ祭の様子や、江戸っ子ならぬパリ訛りのベランメェ調、下町のホテルと運河は今も変わっていません。食事のシーンが多く、当時の暮らしを楽しめます。

「北ホテル 〜オテル・デュ・ノルド」 マルセル・カルネ監督 1938年 抜粋4分少し

ルイ・ジューヴェの魅力、それは「貴公子俳優」と言われた容姿淡麗なところ、しかし毒のある皮肉な感じ、爬虫類のような目の鋭さ、独特の声、加えてその着こなしでしょうか。

眼力のある面構えから親しみにくそうですが、実は複雑な性格ゆえ、自分自身でもそれをまとめるのに困っていたそうです。一般のものさしには当てはまらない個性をそのままに、なる様になれ、と思っているうちに、鋭い感性と才能のおかげで自信がついてきて、しまいには粘り強く変幻自在な、そして陰影に飛んだ演出ができる俳優になったのでした。

「舞踏会の手帖」「女だけの都」「どん底」など、どの映画にも、らしさがあふれています。戦前、戦後の映画が多く、字幕がないのが残念ですが、今も俳優から尊敬され、2度と出ないと言われるフランスの名優です。

最後に、映画「トパーズ」に出てくる1930年代アール・デコのアンティークジュエリーを画像でお楽しみください。

ルイ・ジューヴェ トパーズ アール・デコ アンティークジュエリー
左右の袖が違うドレス&クリップブローチ  _  アール・デコ的ネックレス、ブレスレット、リング
ヘアジュエリー _ 真珠のイヤリング &リング  _  ベルトのバックルがお洒落
シャンデリアタイプのイヤリング _ ルイ・ジューヴェの変わりようも魅力、ラペルに花を挿すのが伊達男
衣装デザインはエルザ・スキャパレリ

スキャパレリは1890年ローマ生まれ、母方はイタリア貴族で、子供の頃から芸術文化に囲まれて育ち、1925年にブティックを開きます。その才能は、当時のパリで偉大なクチュリエであったポール・ポワレに見いだされました。装いだけでなく、芸術文化への興味が大きく、華やかで斬新なデザインで評判を呼び、ウィンザー公爵夫人をはじめ、貴婦人や女優に好かれました。映画「トパーズ」でも、スキャパレリらしいファンタジックな衣装デザインが見どころです。
スキャパレリについてはコラム、 n.26 秋から冬へ ブローチの楽しみ 、n.14 春から夏へ ブローチの楽しみ でご覧いただけます。

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