アンティークジュエリー物語n.32
香水の逸話から
ジャン・パトゥ II
前回のコラムn.31から続いてジャン・パトゥのお話です。
ジャン・パトゥは、ヨーロッパだけではなく、アメリカでも好まれました。
彼が作るデザインは、最大限に女性の美しさを引き出し、重いドレスを着ていた19世紀から比べ、大変活動的になった女性達のために、よりシンプルで動きやすいものでした。
彼のデザインはアメリカ社交界の婦人達はもとより、お洒落で有名だった女優やダンサーにも好まれました。
また彼の大きな功績は、「 スポーツ 」をファッションに取り入れたことでした。
彼自身、スポーツカーを運転し、テニスにスキーとスポーツマンでもありました。
20世紀はじめに、女性達が固いコルセットから解放され、ジャージーやニットの服でテニス、ゴルフ、スキーに海水浴、そして車の運転を楽しみ始めた時代でした。
そんな女性のニーズにあった服を作ったのです。
スポーティなセーターやカーディガンにズボンの乗馬服、テニスウエアのプリーツスカートは彼のデザインですし、綺麗な色や楽しいデザインといった女性らしいイメージは残しながら、活発に動けるウエアをデザインしました。
また、化粧品や香水の開発も行います。
面白いアイデアでは、1921年に「ル・バー・ド・パルファム」(香水バー)を開いたことです。
クリスタルのシャンデリアに胡桃の木のカウンター、とジャン・パトゥならではのフランスの豪奢な雰囲気を作り、プライベート・バーで、親しい友人や顧客だけを招待し、パトゥのドレスを着て、香水をつけ、シャンパーニュを楽しむ会を催したそうです。
今にあれば行ってみたい気がしますね。
また化粧品も発売し、アール・デコ様式のパッケージで大変人気になりました。
ニューヨーク5番街、730番地に「ジャン・パトゥ パヒュームリー」を開いたのもこの時代、1930年です。
ジャン・パトゥが好んだのは薔薇の香り、1907年に、彼が香水師の仕事を依頼したヴィオレットという女性が、彼からの手紙への返事にこのように書いています。
「 貴方は私に、私が薔薇のようにその香りに包まれることを頼んできたけれど、私は香水師としての器があるかかどうかは、わからないわ。」
さて、この女性から彼への返事には、二つの意味が含まれています。
一つは香水師の仕事の依頼に対して、私にできるかどうかわからない、という返事、
もう一つは、女性に対して「あなたは薔薇だ」と言うことは、愛の告白であり、同時に薔薇のの香りで包むことは、人生を共にしませんか、と誘っているのです。
つまりジャン・パトゥは愛の告白をしている訳であり、それへの返事が「香水師としての器があるかかどうかは、わからない」つまり香水師=伴侶になれるかどうかはわからない、と答えた訳です。
深い意味をこめた2重の言葉で綴られたこの手紙は、それを書き理解する双方の人間の厚みとともに、言葉の美しさを秘めていますね。
これはジャン・パトゥ20歳の時、当時恋人であったヴィオレット・シシュガルとのやりとりでした。
このヴィオレットとの恋から、名香と歴史に残る薔薇とジャスミン「ジョイ」が1930年に生まれたのです。
次のコラムn.33では、彼のクリエーションとジュエリーコーディネイト をご覧いただきましょう。