N°0328 ビザンティン帝国 12世紀 黄金のリング
1100年から1200年頃の中世時代のアンティークジュエリーをご紹介致します。5世紀から15世紀まで栄えたビザンティン帝国の黄金の指輪で、金のカラットは22−23金で、彫金により作ってあります。
この指輪は結婚の儀式のためのジュエリーで、このような黄金の指輪を用いたのは、当時の帝国宮廷クラスの君主または大貴族の階級でしたし、陰刻の王冠をつけた姿から、非常に高位の階級の皇子や皇女の結婚のために作られたと考えられます。
正面には、プリンスとプリンセスの肖像と、十字架を彫金しています。
ビザンティンの皇子や皇女の髪型と王冠、衣装をまとい装飾品を着けた肖像で彫ってあり、下には『IX C』の文字の陰刻があります。リングはどっしりとした棒状で、正面の楕円型の上下には各3つの金粒の装飾があります。キリスト教では、「3」は三位一体のことで、完全と成就、信仰と愛の意味を持ち、合計の「6」は天地創造の日数であり神の力のシンボルです。
ビザンティン帝国は1453年にオスマン帝国が攻略するまで1000年近く続きました。古代ギリシャとローマ美術の後継者として、また東方的なキリスト教美術を含めた独自のビザンティン美術様式を作り上げました。西ヨーロッパ美術に比べて、東方的、つまりオリエンタルな要素がふくまれているのが特徴です。
知られたところでは、大変優れたモザイク画や大きなドームが特徴の教会、例えば537年建造の現トルコのイスタンブール(コンスタンティノープル)にあるソフィア寺院、現イタリアのラヴェンナにあるサン・ヴィターレ聖堂と壁面モザイクがあります。
ビザンティン美術は、帝国が崩壊した後も、その後にルネサンス美術やオスマン帝国以降のイスラム美術にも大きな影響を与えたほど、壮麗で見事な美術様式の一つです。
十字架の陰刻はキリストの比喩であり、ビザンティンでは新たな創造・生命の木・世界の軸を象徴しており、結婚にふさわしい陰刻で、全てがビザンティンのシンボリックな美術様式で作られた結婚の指輪で、ジュエリー史上も希少な作品です。
※ ビザンティン ビザンツ 国_時代名称_様式
395年にローマ帝国が東西に分裂し、東ローマ帝国がローマ帝国の後継国となり、首都をコンスタンティノープル(現トルコ_イスタンブール)とし、今の研究では、7世紀ごろからビザンティン帝国と呼ぶようになる。一時はゲルマン圏から現イタリアまで領土を支配し、オリエントと西ヨーロッパの中間地点という地域性から、ギリシア的な要素が強い国家となり、文化芸術に独自の様式を作り上げた。1453年にはイスラム勢力のオスマン帝国の首都陥落によって帝国は終わりを告げる。ビザンティン帝国のもとで展開された建築や美術上の一つの様式はビザンティン(ビザンツ)美術、様式と呼び、ギリシア・ローマの古典文化を継承しつつ、オリエント文化も取り入れ、ドームとモザイク画やフレスコ画による装飾の聖堂や、ギリシア正教の聖具のイコンが見られる。工芸ではエマイユ・クロワゾネや彫金細工があり、王冠や聖遺物容器の装飾にも用いられた。その壮麗な美術様式は、帝国崩壊後も、中世ヨーロッパやルネサンスの教会建築、工芸美術にも影響を与え、一つの大きな様式として美術史に残り、現在もその影響を与え続けている。
ヴィザンティン 1100-1200年頃
素材:22-23金
サイズ:L1.5cm W1.2cm
リングサイズ:16-17
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Ring
Byzantine Empire c. 1100-1200
Material: 22-23K gold
Size: L1.5cm W1.2cm
Ring size: 16-17
Price : Please contact us ▽