アンティークジュエリー物語n.65
知られざるジュエラー
ラクロッシュ
1800年代末に彗星のように現れ、半世紀後に消えてしまったジュエラー「ラクロッシュ - Lacloche」をご存知でしょうか?長い間、忘れ去られていたメゾンでしたが、昨年のパリで初の回顧展があり、今、再び注目を集めています。今回のコラムでは、革命後にファベルジェをも取り込んだ幻のメゾンをご紹介致します。
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フランス語で「ラクロッシュ」とは、「鐘 - ベル」のこと、ベルはこのジュエラーのシンボルで、香水を発表した時にも瓶の形に取り入れています。
「ラクロッシュ」は、1892年にラクロッシュ4兄弟がパリのシャテルドン通りへ工房を開き、1901年にパリのラ・ぺ通りへ開店し、1960年代まで活躍した偉大なフランスのジュエラーです。しかし宝飾を仕事としている人や専門コレクター以外には、知る人ぞ知るメゾンでした。有名な作品にはティアラがあり、
イギリスのウエストミンスター公爵夫人、スペインのヴィクトリア女王、イングランドのエドワード7世、ギリシャ王やシャム王国からオーダーを受けています。ジュエリーの他には、置時計、パーティバッグ、シガレットケース、宝石箱などの小さな美の小物の達人でもありました。
特にアール・デコスタイルは、同時代のカルティエを抜きん出るほどに人気があり、各国の王族達はこぞってオーダーをしています。東洋やオリエント美術からインスピレーションを受けたデザインや、1920年にロンドンのファベルジェ支店を買収するほど、エマイユや彫金を施したデリケートでエレガントなジュエリーにも秀でており、1930年代から50年代のモダニティ・デザインでは「もっともシックなパリの宝飾店」の名をほしいままにしています。
当店ルーヴルアンティークでも、上の画像の左下のシノワズリースタイルの赤黒エマイユのシガレットケースや腕時計、ブローチやリングを扱ったことがありますが、その作りとデザインの良さは、素晴らしいものだったと今でも感動がよみがえります。1925年のパリ万国博覧会では、世界4大陸のコレクターが顧客となり、より一層難易度の高いジュエリーを創作するようになりました。
「ラクロッシュ」または「ラクロッシュ・フレール(兄弟)」の素晴らしいのは、華奢でフェミニンなデザインと細かな作りにあり、たとえ大きめサイズのジュエリーでも重厚すぎず、着ける人をより輝かせるデザインであることです。また、ティアラや豪華な夜会用ジュエリーだけでなく、
メゾンの繊細な宝飾技術を生かした、日常にさりげなく着けられるエレガントな小ぶりのジュエリーも得意とし、デッサン帳には、顧客に見せたのでしょう、数々の画が残っています。戦後はモナコ王妃となったグレース・ケリーをはじめとしたハリウッドスターの御用達にもなりましたが、創業者ファミリー自らが、1960年代にメゾンの扉を閉めました。その理由は、ラクロッシュの名の下で、自らがクリエーションの最後まで関われないなら、
我々の時代で終わりにしようと決めていたからだそうです。
デッサンから仕上げまで、こだわり抜いたラクロッシュのジュエリーは、簡易に大量に作られるジュエリーが溢れ、たくさんの技術が失われる今だからこそ、良いものを好む人々は、より一層惹かれるところがあるのだと思えます。パリでの「ラクロッシュ展」も大変盛況で、現代ジュエラーたちも大きく影響を受け、ラクロッシュをインスピレーションにした新作を発表しています。