アンティークジュエリー物語n.48
古代のテクニック
ミクロの世界へ
前回のコラム、「フローレンス・モザイク」 から続いて、このコラムは「ローマン・モザイク」です。
アンティークジュエリーで ” モザイク “ と聞いて、まず浮かぶのは、風景や動植物、神話やシンボルなどの小さなものではないでしょうか。
さて、古代ローマ時代はモザイクのオリジナルなのでしょうか?
「 ローマ帝国 」は、伝説の紀元前8世紀頃の王の時代から共和制へ、1世紀からの皇帝時代、4世紀末には東西に分かれ、5世紀末には西、15世紀には東が滅亡し、帝国が終わります。
その中で、” 古代 ” のモザイクや、それを手本に作った物を「ローマン・モザイク」と呼んでいます。
しかしモザイクは古代ローマより以前の、紀元前2500~2700年頃の、メゾポタミアの ” シュメール文化 ” にも技法が見られ、ローマより古いギリシャ文化には、見事なモザイクがありました。
古代ローマがギリシャを制圧した時、ギリシャの美術や建築に感嘆し、都市は破壊しても、ギリシャの職人や工芸技術は殺さずに、ローマへ取り込みました。
それが、ギリシャはローマの母と言われる由縁で、モザイクはその中の一つとして、古代ローマの工芸美術へ取り入れたのです。
しかし、古代ギリシャ時代のモザイクと言っても、あまりお目にかかりません。
なぜなら、ほとんどは破壊されてしまったからです。
でも、古代ローマ時代のモザイクは、ほとんどがギリシャのものを手本に作っていますから、「ギリシャの XXX にあったと思われるモザイク 〜制作期:古代ローマ時代」というものが多く、ギリシャ当時の雰囲気は今に伝わっています。
さて、古代ギリシャから発したローマン・モザイクのテクニックですが、主な素材は、石、陶器、金属、色ガラスです。
中には高価なものですと、上の青のように、ラピスラズリを使うこともありました。
大切なのは土台で、石膏や石、金属、表面は癒着材の層を作ります。
例えば下のモザイク飾りの古代の壁の少し破損しているところから、モザイクの土台となる層が見えています。
下はフレームの白い石、その上に陶土、そして癒着材、モザイクは陶器の破片を使っています。
珍しいのは金塗りで、当時は、金を使うのは大変な贅沢でしたから、富裕な人の建物にあったものと考えられます。
このように建物の装飾からはじまったモザイクは、時を経て、技術や素材が向上し、より洗練されたものになっていきます。
まず素材には、石や陶器だけでなく色ガラスや、ガラスを酸化させて金属的な輝きを出したもの、金銀張りのキューブ型が作られました。
色ガラスのおかげで、小さくても、綺麗な色と輝きを出せるようになり、より細かい仕事ができるようになりました。
下の画像のような、ビザンティンの教会を埋め尽くす黄金のモザイクも、素材技術の向上のお陰で、作ることができたのです。
また、モザイクは絵画のように劣化しませんから、数世紀を経ても作った当時のまま、というのも良さの一つです。
ガラス技術で、華やかで細かいモザイクが出来るようになり、建物のモザイクから、より細かく、もっと多色にと、工芸の頂点を目指し始めます。
中世時代になりますと、より細かく、もっと多色にと、工芸の頂点を目指し始めます。
例えばこのフレームのモザイクは、幅20cmほど、その中に聖書のシーンを作っています。
モザイク片の一つ一つは1mmより小さいもので、遠目には、絵画にしか見えないくらいです。
表情や、色のグラデーション、小さなディティールにまで大変凝っていますが、このモザイクを作るのに、どれだけの色数のガラスや石のキューブを作ったことでしょうか。
職人達の見事な技術です。
このようなミクロの工芸ができるようになり、ジュエリーや、宝石箱といった小さなオブジェへローマン・モザイクを施していきます。
18~19世紀には、古代ギリシャ・ローマ遺跡への研究と興味が、宮廷サロンで流行し、「アケオロジー様式」のジュエリーへ、モザイクを使うようになります。
アケオロジー様式のジュエリーで、18世紀のものは数が少ないのですが、上の画像ののような、ダブルフェイスの モザイクのジュエリー がありますし、
19世紀のカステラーニ、ジュリアーノ、フォントネイをはじめとした宝飾メゾンには、古代風のジュエリーに” モザイク ” は欠かせませんでした。
ヨーロッパの古く良い建物には、必ずモザイクの装飾があり、ジュエリーや小さなオブジェへ、ミクロの世界にまで広がりました。
「モザイク」は、絵画と同じくらい、あるいはそれ以上に魅力があるからこそ、紀元前から途絶える事無く続いているのと言われています。
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